11月18日はミッキー・マウスの誕生日!

趣味

Happy Birthday Mickey!!

と、いう事で大好きなミッキーについてちょっとした豆知識を書いていこうと思います。

知らなかった豆知識、知っている豆知識あるかと思いますが、お付き合いください

私の知ってるミッキーマウス

ミッキーのデビュー

ミッキー・マウスは1928年11月18日に『蒸気船ウィリー』にてスクリーンデビューしました。そのため、デビュー日が誕生日ということになっています。ちなみに、ミニー・マウスもこの時一緒にデビューしたので、11月18日はミニーの誕生日でもあります。

今では音と映像が同時に流れる映画は当たり前ですが、当時はとても画期的で、最先端の手法でした。

そのため、ニューヨークで上映さられるや否や、大人から子どもまで多くの人がたった7分程の音の出る映画に引き寄せられました。これがきっかけで、ミッキーもウォールトも有名人になったのです。

蒸気船ウィリーの前にできた作品がある?

ミッキーがデビューする前に、プレーン・クレイジーとギャロッピン・ガウチョという2作品がサイレント映像で出来てました。しかし、なかなか買い手がつかず。そこでウォールトは当時最先端のトーキー(音と映像が同時に流れる)映画でミッキーをデビューさせようと思いつき、製作途中だった蒸気船ウィリーをトーキー映画にして上映させたのです。

ミッキーはウォールトの救世主?!

ミッキーが生まれる前、1927年に「しあわせうさぎのオズワルド」が生まれていました。しかし、オズワルドの版権は契約していた配給会社に奪われてしまい、ウォールトは失意のドン底に落ちてしまいます。

しかし、ミッキーがデビューし有名になった事で、事業をどんどん拡大させる事ができ、今や誰もが知るアニメスタジオになったのです。ウォールトの名言の中に

決して忘れないでほしい。全ては1匹のネズミから始まったということを。』

と、ある様に、今のディズニーがあるのはミッキーがいてくれたからこそなのです。

✴︎2006年にオズワルドの版権はディズニーに戻ってきました

ミッキーのモデルはスタジオを走り回ってたネズミ?

オズワルドの契約交渉のため、カルフォルニアからニューヨークに赴いたウォールトでしたが、結果はオズワルドを失うという悲しい結果に。その帰りの汽車で、ウォールトはオズワルドに継ぐ新しいキャラクターを考えました。

その時ウォールトは、最初に設立したアニメションスタジオで走り回っていたネズミを思い出します。そのネズミこそ、ミッキーのモデルです。

 

ミッキーの生みの親はウォールト・ディズニーだけでない?

ミッキーはウォールトだけでなく、一緒に働いていたアブ・アイワークスとアイディアを出し合って生み出されたキャラクターです。

アブ・アイワークスは、ウォールと共にアニメーション会社を設立した一人であり、蒸気船ウィリーだけでなく、初期のミッキー作品の原画のほとんどを1人で仕上げた人物です。ミッキーのデビューはこの人あってこそ成り立ったと言っても過言ではありません。

 

ミッキーとミニーの初代声優は、ウォールト・ディズニー!

初期のミッキーとミニーにはセリフがほとんどなかったため、ウォールトが2人の声優を勤めていました。

 

ミッキー・マウスの名付け親

有名な話しかも知れませんが、ミッキー・マウスの名付け親はウォールトではなく、ウォールトの奥さんであるリリアン・ディズニーです。

当初ウォールトは「モーティマー・マウス」と、つける予定でしたが、奥さんから反対され、代わりに「ミッキー・マウスはどう?」と、提案された事で、今の名前になったそうです。

ちなみに、モーティマーは後に、「ミッキーのライバル大騒動」で、ミニーを取り合うライバルとして出てきます。背が高い足長のキザ男ですよ。

 

 

さいごに

ミッキーに少しでも興味を持って頂けましたか?興味を持って頂いた方、更にミッキーを好きになった方、ぜひ11月18日に『蒸気船ウィリー』観てみてください。

また、もっとミッキーの事が知りたいと思われた方、下記の書籍おすすめです。より細かくミッキーの事やウォールト・ディズニーの事が知る事ができます。

私は、パークにいるミッキーもアニメや映画の中のミッキーも、ゲームの中のミッキーも全部好きです。(私は、ミッキーが出るという理由でキングダムハーツをやってました)

より多くの方に大好きなミッキーの事を知ってもらえたら幸いです。

 

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